
今回のゲストはスペインリーグでご活躍されていたトレーナー山田晃広氏にインタビューさせていただきました✨
〜山田氏プロフィール〜
高校卒業後、鍼灸マッサージ院に入社。2000年に スペインに渡り、ローカルクラブでトレーナーを務 める。2003年にスペイン1部リーグの「ラシン・サンタンデール」のトップチームトレーナーに就任 (スペインリーグで日本人初)。2005年に帰国後 は「湘南ベルマーレ」のチーフトレーナー、そして なでしこリーグ「INAC 神戸レオネッサ」のチーフトレーナーと して活躍、また澤穂希選手や大野忍選手のコンディショニングを務める。現在は立ち上げた「株式会社The StadiuM」代表としてスポーツトレーナーの育成、養成、スポーツトレーナーのコンサルタント業務を経営。プロトレーナーの育成にも力 を注いでいる。2022年5月東京都渋谷に
美容鍼灸とコンディショニングを合わせた
美容鍼灸院サロン「Amalie アマーリエ」をオープン。
FCバルセロナ公認サポータークラブ副会長も務める。
1974年生まれ 東京都出身。
世界を舞台に活躍したトレーナーが語るスポーツトレーナの心構えと必要な技術とは❗️❓
今回お話をお聞きしたのは、スポーツトレーナーの第一人者である山田晃広さん。世界の舞台で活躍したこの道のパイオニア的存在でもある。日焼けした精悍な顔、まるでラテンの血が流れているかのような情熱的な話しがとても印象的だった。
これから資格を取得し、この道を目指す人にとって彼の言葉は光るものになるだろう。まずきっかけから話を伺った。
人と違うことに挑戦してみたい

キューカツからの質問:18歳の時に鍼灸マッサージ院に入社されたのがこの道の始まりとお聞きしていますが、その当時スポーツトレーナーというジャンルはあったのでしょうか?
山田氏:今は特にプロスポーツ、またハイレベルのアマチュアチーム等には専属のフィジカルコーチやスポーツトレーナーが付くのは当たり前の時代ですが、当時の事情は違いました。しかし僕が入社したのは“スポーツトレーナー”という言葉を院として打ち出し始めた走り的な心療院で、一般の患者さんのほかに、オリンピック選手やプロ野球選手など、来院するスポーツ選手の面倒を見ることもありました。そこで修業するうちこれからスポーツトレーナーの必要性が高まるのではないかという予感があり、スポーツに特化したトレーナーとしての将来に興味を持ち始めました。
キューカツからの質問:その後スペインに渡られたのですよね?
山田氏:J2のヴァンフォーレ甲府に携わることになったのですが、そこでパラグアイやブラジルのコーチ、選手と出会い、話を聞くうちにサッカーに対する意識が日本と世界では何かが違うという感じがして、それが興味深く…。とうとう海外でこの仕事をしてみたいという思いが抑えきれなくなり、院を辞め、サッカーがさかんなスペインに行き当たりばったりの状態で飛び出しました。所持金は100万円ぐらいしかなかったのですが… 。笑
目標を常に設定する

キューカツからの質問:1部リーグチームのトレーナーになられたいきさつは?
山田氏:最初の3年間は3部のチームでトーレーナーとして働きました。コネもなにもなくとにかくチームへ直談判。日本人の滞在者相手への施術でお金をかせぎながら、最初の1年は無償で高校生チームの仕事をやらせていただきました。そしてスペイン語をクリアしてきた3年目、運よく1部チームのキャンプに1ヵ月練習として参加しないかという話をいただき、そこで自分が出来ることをとにかく全力でやりました。誰よりも早く着いて掃除をしたり、雨の時はタオルを用意したり、冷えた水を用意したり、それらは必ずしもトレーナーとしての仕事ではないかもしれませんが、僕としては普通のことを普通にやってたまでで。そうしたら期間が終わった後、選手達がチームに自分が必要だと合議の上で、会長に進言してくれたのです。ありがたいことでした。
最初の3年間は生活的に厳しい状態でしたが、トップチームへいくための準備期間だと捉えていました。目標を常に現状の自分のランクより上に意識しながら、次はどこでどういった仕事をしたいと、具体的な自分の1年後の将来像を常に考えていました。もともと日本で磨いた自分の技術にはアドバンテージがあると感じてはいました。

インタビュー①完














